存在価値

絵を描いて、納得いくものをこの世に存在させて、ようやく私の存在価値が生まれる。

全然うまくないし、売れるようなものではないけど、私が私を存在してていいと思える瞬間。

何をしてもうまくいかない。誰かに妬まれるものはもっていない。一つも納得するものは手の中にない。

そうやって29年間生きてきた結果の今がある。

もちろん、誰もが特別な何者かになれるわけではないことも知っていて、ありふれた一人でもその存在の尊さがあることもわかっている。だけど、そういうことじゃなくて、自分がそうありたいと思ったものは何も手にできていないことの虚しさがある。

その虚しさを唯一埋めるものが、私にとっては絵なのです。

小学校の時、いろんな人とは仲良くできなくて、自分が集団の中で思うようにはいられないとわかり始めたころ、お話を描き始めたらクラスの皆が話しかけてくれるようになった。

あの時から、自分に欠けたものを自分の力で埋められる唯一の手段が絵を描くことだった。恋愛をしたって、薄い膜が空いた穴の表面に張られるだけで、埋まることなんかない。結局、自分の欠損は自分の細胞でしか修復できない。

 

毎日自分の存在価値を生み出せるほど私は真面目、ストイックじゃないから、改めて嫌になる。でも、1週間に1回でも、自分のことをやっているなって思える瞬間があるだけで、生きることが楽になっている。

子供時代のおわり

大好きだった先輩が、私が知らない間に海外に行っていたことを知った。

高校生の時同じ部活で、好きになった先輩だった。

私なんかよりも色々なことを知っているところが魅力的で、話すことが面白くて、もっとこの人のことを知りたいと思っていたら好きになっていた。勇気を出して告白をした結果、あっさり振られたけど、それから社会人になっても細々と仲良くしてもらっていた。

時折思い出したようにくるLINE、「元気?」「飲み行かないかな」…あの頃大好きだった人と、大人になってからも会える嬉しさはひとしおで、いつも私は舞い上がっていた。カウンターで、彼がクラフトビールを飲んで、少食だから全然食べないつまみを私が代わりに食べざるを得なくて、仕事の話をしたり、恋愛の話をしたり、本当に他愛もなかったけど楽しい時間だった。

よく彼は「俺のことを一番わかってくれるのはお前だよ」と言ってくれていたし、私も「あなたのことをこんなに好きなの多分私が一番だよ」って言ってたけど、多分お互い相手を喜ばせたくて、自分が満足したくて言ってただけだったね。でも、酒の席の戯言ではあったけど、少なくともそれを言葉にできるだけでも十分だった。

あなたと一緒にいるとき、私は高校生の頃のままだったし、あなたもあの頃を引きずったまま、”私の片思いの相手”でいてくれた。

ある時、仕事の都合で海外にいくことができるから、ゆくゆくはそれを望んでいると話してくれた。「お前も一緒に行く?」って言ってくれた。嘘だってわかってたけど、嬉しかった。

ある日、ついに歯車がうまくいかなくなって「お前は結局相手がいるもんな」と言い捨てられてしまった。私が悪かったのかもしれない。出会ってから10年経っていた。今更全部嘘以外にあり得ないって思ってた。色んな都合のいい言葉は大人になって使えるようになったその場のやさしさだと思ってた。だけど、どうやら、あのやわらかい精神のまま私と彼の関係は止まっていて、外側だけがうまく育ってしまっただけだった。

 

そうやって、連絡を取らなくなって1年半が過ぎたこの前、風のうわさで彼が仕事の都合をつけて海外に行ったことを知った。

「お前も一緒に行くか」と言ってくれた場所に、ついに行ったらしい。

 

私は少ししたら30歳になります。

なんか、彼の知らせを受けて、ついに色んなことが終わってしまって、私達は大人になって、子供時代はおわってしまったんだと知りました。

29歳のうちに切りよく終わってよかった気がします。

 

先輩が孤独じゃありませんように。夢を叶えたこと、私も嬉しかった。

絵を描いていて思うこと①

今、個展に向けて絵を描いています。

だけど人様に見せるようなレベル感の絵となると全然描けなくて常に苦戦しています。

 

下書き絵の段階では、なんだか表現したい雰囲気、世界ができそうな気がするんです。でも、色を入れていって作り込んでいくと「あれ、なんだこれ。」「なんだこのひどい状態は」と、愕然としてしまう。下書き時点で頭の中でイメージした世界を、私の今の力では再現できないから、そんなつもりではなかった!という出来にしかならないんです。

そうなると、もうやめてしまいたい…と絶望です。お陰で(すでに現時点でも大焦りですが、)やる気も消え去って進捗が作れなくなります。

 

とはいえ、そんな楽しくない時間の中でも少しだけわかったことがあります。

最低な状態に対して、ようやく思い付いたアイデアをアウトプットすると、ふっと兆しが見えることがある。「いけるかも?」、「私できそうかも」、と希望がみつかって勇気が湧いてくる。ようやく絵を描くことって楽しいなあと思えるのです。平たくいうとつまり”諦めるには早い”。そりゃあそう、まだ全然描き込んでいないんだから…。

そして少し時間がたって、アイデアの第二の矢を放ったら次はうまくいかず、改めて絶望に苛まれ、苦悩しています。

 

なんだか良いことと悪いことを勝手に繰り返しているの、日常とまるで一緒だなあと思いました。自分が自分を生かしたり殺したりする。うまくいかないと辞めたくなるけど、歩みを止めず、トライし続けることが大切ですね。簡単なことではないのですが…。

 

最終的にうまくいくかはわからないけど、とりあえず今の私ができる範囲で頑張ってみます。あと、腹の肉がひどいので、筋トレもちょっと頑張ります。

 

こちらは晩酌の白ワイン。大好きなくじらです!

くじらと宇宙飛行士のラベルの白ワイン

 

初めてのアイドル

人生で初めて、アイドルのファンクラブに入会しました。生の歌やダンスをみたくって。 ファンクラブに入らなくたってLIVEには行けるのかもしれませんが、確実に行ける選択肢を取ろう!と決めたわけです。

 

そしてこの春、念願叶い、コンサートに行くことができました。人生初のアイドルコンサート。これまでのアーティストのそれとは少し雰囲気が違って、面白かったです。

気付いたことは、アイドル界にはファンサがあるらしいということ。ただ歌って踊るだけがアイドルではないのです。ステージ上でアイドルたちは休むことなく客席に愛想、ファンサービスを提供している。そのためにファンも目立つ。好きな子に見つけてもらうため、ネームボードを用意したり、服装をキャッチーなものにしたり…(服装は本人の趣味趣向もあるだろうからそればかりではないかも)

そしてファンサ獲得に何より大事なのが、席。こればっかりは当然運なので努力のしようがない。私は実は2回LIVEに参戦しており、2階からの席とアリーナ席を体験したのですが、アリーナ席ではアイドルからファンサをもらえる可能性を強く感じました。

ただ折角アイドルと目が合う席に来たというのに、自分はネームボードなんて作ってきていない、気付いてもらえるものが何一つない。無情に私の近くを通り過ぎていくトロッコ。他の子に愛嬌を振りまくアイドルの横顔や後姿を目に焼き付けるしかできない。

 

コンサートが終わってから「私もファンサ欲しかったな!!」と悔しかったです。歌とダンスを見に行ったつもりだったのに、それ以外の部分で不満を覚えてしまった自分の欲深さが憎い。

実はネームボードの存在は事前に友達から入れ知恵されていたのですが、好きなアイドルといえど他人の名前を切り貼りしてかわいく装飾するなんて、そんなことをしていいのかというこっぱずかしさと抵抗感でやらなかったのです。

終わってみれば、郷に入れば郷に従え、恥ずかしくたってネームボードを用意したらよかった。

 

次の機会があったら、どんな私になれているかはわかりませんが、好きな歌と大好きなあの子がいる空間を全身で楽しめたらいいな、とおもいます。

 

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好きなアイドル:ME:I ちゃん
行ったコンサート:ME:I CONIC@代々木

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規則正しい生活

久しぶりに寝る前に筋トレをしました。10年以上前はもっと腹筋ちゃんとあったのに、すっかり脂肪が腰回りまでまとわりついて、下腹部はしっかり握れるほどになってしまいました。脂肪の下に息をひそめた怠惰な筋肉が、突然痛めつけられて震えている。

 

今日は絵を4時間くらいは描きました。本当はもっともっと描かないとまずいのだけど、ルミネ10%オフに行く約束をしていたため、まずはそちらを優先。そんなことをしている場合ではない。しかし、一緒に暮らす人の機嫌を大きく損ねるとそれはそれで大きな損失が生じるので、メリデメを天秤にかける。ひとまず家に帰ってからひとつ描いていた絵の終わる目途がついてきたから、一旦…と思う。

明日は6時には起きて改めて絵を描き始めたいです。

そのために私の体は0時には寝ていないといけない。0時を過ぎてから寝ると、体感プラス2時間は睡眠時間が必要になっている。そう書いている今、すでに0時半なので、希望への実現性が大変危ぶまれています。

怠惰な人間ができる最低限の努力こそ、規則正しい生活を送ることかもしれない!

 

休日が終わるのはあっという間です…が、平日も結構あっという間に過ぎ去るので、なんだか色々思っているだけの日々を送るだけで人生って終わっていくんだろうな、

書きたかったのは、ME:Iのオフラインイベントにこの休日に行けたのでとてもうれしかったよ、ということなのですが、すぐに自我を出したことを書きたくなるの、年寄臭くてなんだかいやですね。とにかく、りんりんはお人形さんで、素敵でした。

 

おやすみなさい!